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東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口)
〒100-0005 東京都千代田区丸の内 1-9-1


KOBAYAKAWA SHUSEI : A LIFE OF JOURNEY AND REQUIEM
小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌
 小早川秋聲 「こばやかわ・しゅうせい、本名・盈麿/1885~1974 (明治 18~昭和 49) 年」 は、大正から昭和にかけて、京都を中心に活躍した日本画家です。 鳥取のお寺の住職の長男として生まれた秋聲は、9 歳で京都の東本願寺の衆徒として僧籍に入りました。 その後、画家になることを志し、日本画家の谷口香嶠や山元春挙に師事し、文展や帝展を中心に出品と入選を重ね、画技を磨きます。
 また、旅を好んだ秋聲は、北海道、山陰、紀州など日本各地を絵に描き、国外では複数回中国渡航に加え、1922 年から 23 年にかけてアジア、インド、エジプトを経由してヨーロッパ 10 数ヵ国へ遊学。 1926 年には北米大陸を横断し、日本美術の紹介にも努めました。 1931 年以降は従軍画家として中国に何回も赴きますが、数多く描いた戦争画のなかでも代表作に挙げられる 《國之楯》 は深く印象に残る 1 点です。
 本展は、初期の歴史画から、初公開の戦争画、晩年の仏画まで、百余点で小早川秋聲の画業を見渡す初めての大規模な回顧展となります。
「東京ステーションギャラリー」 プレスリリース 2021/7/7 よりの抜粋文章です。

会期: 2021 10/9 〔土〕→ 11/28 〔日〕 東京展は終了しました。
休館日: 月曜日(11/22 は開館)
開館時間:10:00~18:00 ※金曜日は 20:00 まで ※入館は閉室30分前まで 
会場:東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口 改札前)
主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人東日本鉄道文化財団] 、BSフジ、ライブエグザム

巡回先:(2022_2/11~3/21) 鳥取県立博物館

'2021 10_8 「小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」 展覧会の概要説明会 & プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

プレス内覧会&説明会「小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」東京ステーションギャラリー
・No.63 小早川秋聲 《長崎へ航く》 1931(昭和 6)年 第12回帝展 個人蔵

小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」
プレス説明会 & 内覧会 '2021 10_8
会場: 東京ステーションギャラリ―



  

或時は漂らひ、ある時は暑気に喘ぎ、寒さに震へ
雨に濡れ風に晒され、巡歴転々

「本展の見どころ」 ―プレスリリース 2021. 7. 7、 「小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」 カタログよりの抜粋文章です―

 展覧会の構成は第 1 章~第 4 章まで全 4 章です
・第 1 章 はじまり―京都での修業時代
・第 2 章 旅する画家―異文化との出会い
・第 3 章 従軍画家として―《國の楯》へと至る道
・第 4 章 戦後を生きる―静寂の日々

'2021 10_8 「小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」 展覧会の概要説明 & プレス内覧会の作品の一部をご紹介します。
画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
    ―「プレスリリース 2021. 7_7」、【小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌】 カタログよりの抜粋文章です―

・第 1 章 はじまり―京都での修業時代

小早川秋聲 No.7《楠公父子》

 光徳寺 (鳥取県日野町黒板) の住職の長男として生まれた秋聲は、母の里である神戸の九鬼子爵邸内で幼少期を過ごし、9歳で東本願寺の衆徒として僧籍に入りました。 そして、画家を志し、1901 年頃から京都の日本画家で、歴史画を得意とした谷口香嶠 (1864~1915) に師事し、その画塾に入る。 この頃の秋聲は、No.7 《楠公父子》 などのような香嶠から学んだ緻密な歴史画を多く描いている。
1909 年、香嶠が教授を務める京都市絵画専門学校 (現・京都市立芸術大学) に入学するものの、すぐに退学して中国へ行き、約 1 年半、東洋美術を学びました。 その後もたびたび中国を訪れ、中国の僧侶をモデルにした作品などを描いています。

・左右 No.7 小早川秋聲1885-1974 《楠公父子》 部分 明治末期~大正期 個人蔵

・左右 No.7 《楠公父子》 この作品には 「倣鞆音画伯図」 との款記があり、小堀鞆音に習った作品とわかる。 描かれているのは、楠木正成・正行父子が桜井で訣別する 『太平記』 の名場面であろう。 秋聲は香嶠、鞆音に学んだ有職故実の知識を活用して、武具甲冑などを詳細に描き出している。


・第 3 章 従軍画家として―《國の楯》 へと至る道

小早川秋聲No.83《日本刀》、No.93《國之楯(下絵)》

 満州事変 (1931 年) や、盧溝橋事件 (1937 年) をきっかけに日本は戦争へと突き進み、秋聲は主に従軍画家として、満州、中国へと頻繁に赴くようになります。 秋聲は、戦闘シーンや軍人の勇姿、富士山と日の出といった国威発揚の風景画だけでなく、戦地での日常風景も描いていますが、戦場の実感、生活感ある抒情性ある画面が秋聲の戦争画の特徴のひとつです。 終戦の 1 年半前の作である No.92 《國之楯》 は、はじめ、横たわる兵士の上に円光がかかり、さらに、その死を美化するように桜の花びらが散らされていたといわれています。 しかし、陸軍省から受け取り拒否され、後に秋聲は背景を黒く塗りつぶしました。 その理由は定かではありませんが、改作によって作品の印象は大きく変わったといえるでしょう。

・右 No.83 小早川秋聲1885-1974 《日本刀》 1940(昭和15) 年 大毎奉祝日本画大展覧会 京都霊山護国神社 (日南町美術館寄託)
・左 No.93 小早川秋聲1885-1974 《國之楯 (下絵)》 1944 (昭和19) 年 個人蔵

・右 No.83 《日本刀》 1939 年陸軍美術協会主催で第 1 回聖戦美術展に同名の 《日本刀》 が出品され、陸軍省の買い上げとなった後、これを目にした部隊長らから、刀の扱いについて細かい指摘を受けた。 改めて制作した本作は、右手に手袋をつけ、刀が下向き、鞘も下向きに描かれている。
・左 No.93 《國之楯 (下絵)》 1943 年、陸軍により秋聲はビルマに派遣される。 異色の戦争画 《國之楯》 が描かれるのは、この後のことで、1944 年完成している。 軍が受け取り拒否をした No.92 《國之楯》 は、改作の過程で、遺体の上に積もるように描かれていた桜の花は黒く塗りつぶされる。 No.93 《國之楯》 では将校の遺体の上に円光を描いており、1944 年当時の作品の様子を想像させる。



'2021 10_8 「小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」 展覧会の概要説明会 & プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

小早川秋聲 No.50《法華経を説く聖徳太子》

・右 「秋聲 画室にて 『私の写真輯』 カタログ P17 個人蔵
・左 No.50 小早川秋聲1885-1974 《法華経を説く聖徳太子》 部分 1926 (大正15) 年 第1回聖徳太子奉賛美術展 個人蔵

日本画家 「小早川秋聲 」 (1885-1974)

「年 譜」 カタログ 「小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」 より 抜粋しています。 詳細はカタログの年譜をご参照ください。

・1885(明治 18)年 0 歳 鳥取県日野郡日野町黒坂の光徳寺住職小早川鐡僲と、元攝津三田 (現在:兵庫県三田市) 藩主九鬼孝義の養妹、こう (別:幸子) の長男として生まれる。 (本名、盈麿、字は隆成。 出生時から9年間、母親の里である九鬼子爵邸内で育つ。)
・1901(明治 34)年 16 歳 雑誌 『風俗画報』 第237号に 「京都の孟蘭盆」 執筆。 この頃、京都の歴史画家:谷口香嶠 (1864~1915) に師事。
・1905(明治 38)年 20 歳 雑誌 『風俗画報』 第316号に 「伯耆日野郡黒坂地方の節句」 執筆。 1年志願兵として騎兵連隊に入隊し、日露戦争に見習士官として従軍。
・1912 (明治45/大正元年) 年 27 歳 この頃、人物画を得意とし、特に表情画の研究に努める。 すでに、大阪、神戸、岡山など各地での個展を開催。 また、明治天皇と皇太子 (大正天皇)、久邇野宮邦彦王に謁見、御食事会数回。 帝国速記学会へ入会し速記学を修得。
・1915(大正 4)年 30 歳 「巽画会第15回美術展覧会」 へ 《水温む京の宵》 (紙本6曲) 出品、褒賞 2 等。 「巡回日本絵画展」 へ 《花》出品、2 等賞銀杯。 「大典記念京都博覧会」 岡崎公園美術館へ 《微笑》 《パゴダ》 出品、総裁久邇宮邦彦王より記念状が贈られる。 「第9回文展」 へ出品。 谷口香嶠死去 (享年52)。
・1920(大正 43)年 35 歳 「聖徳太子記念展覧会」 上野公園竹之台陳列館、「第21回早苗会展」 「第1回山陰絵画展覧会」 「第4回京展」へそれぞれ出品。 『山陰日日新聞』 へ執筆。 『蝦夷地の旅から』 を出版。 神戸港から中国を経て約2年半にわたり 17 ヵ国を外遊 (ベルリン国立アルトムゼーム研究室、ルーヴル美術館東洋古代室、大英博物館東洋研究室などで学び、各地の美術館や博物館、寺院を見学)。 水月甲賀流気合術の免許を修得。
・1925(大正 14)年 40 歳 『大毎美術』 『美術国』 創刊号 『台湾日日新報』 『大阪時事新報』 『サンデー毎日』『美術春秋』 『アトリエ』『都市と芸術』 へそれぞれ掲載・執筆。 神戸港から中国南部地方を訪れる。 「個展」 神戸市神港俱楽部へ 《遅日 (羅馬郊外)》など出品。 「東洋絵画展」 へ 《秋の聲》 出品、1等賞。 「第6回帝展」 《盲目の春》 出品。 「第2回鳥取県美術展覧会」 商品陳列所へ出品。 上京「好画堂新作展」 へ 《蜀山行旅》 出品。 長女、和子誕生。
・1930(昭和 5)年 45 歳 満州事変勃発で帰国。 『眞美』『大毎美術』 『京都新百景』 『都市と芸術』『画生活随筆』 『秋聲選集』 『大因伯』 へそれぞれ執筆・掲載。 個展へ 《日輪》 など出品、「下鴨展」 大丸ギャラリーへ出品、「第2回春挙画塾研究会展」 大阪高島屋へ出品。 「獨乙政府主催日本画展」、「ハンガリー政府国際展」 へ 《魚心鳥心》など無鑑査出品。 「ドイツデュッセルドルフ日本美術展」 へ 《魚心鳥心》 出品。 早苗会の評議員、研究会委員となる。 北京国画院顧問。 北京中日芸術協会副会長に推される。
・1935(昭和 10)年 50 歳 早苗会新年会を祇園中村楼に開催。 東久邇宮稔彦王、久邇宮俔子妃、賀陽宮恒憲王、《北白川冨子大妃殿下御肖像画》、北白川宮佐和子女王、北白川宮房子妃の肖像画それぞれに謁見、揮毫。 神戸湊川神社大楠公600年大祭に 《霊峰》 を献納。 満洲国皇帝陛下御訪日奉迎展 「満州風物スケッチ展」 東京日本橋高島屋へ出品、京都・大阪放送局で放送。 『アトリエ』 『大毎美術』『塔影』『芸美』 『美術往来』 『満州上海事変戦史画記念集』 『大法輪』『都市と芸術』 にそれぞれ掲載・執筆。 京都警察学校貴賓室に《法華経を説く聖徳太子》を揮毫。
・1940(昭和15)年 55 歳 「皇紀2600年記念皇道文化展」 へ陸軍省貸下として3部作 《日本刀》《武神(神武天皇)》 《御旗を護る》出品。 『逓信協会雑誌』 『詩と美術』 『美之国』『洛味』 『秋聲選集』 『旅』『財政』『文藝春秋』 『都市と芸術』 へそれぞれ執筆、作品の出品・展示・掲載や一部出版など。 日本美術家連盟会員、日展委員、日本著作権協議会会員、日本文芸家協会会員、第4回京都市展委員。 《戦場の夢と銃後の夢》 《慈愛》を陸軍省へ奉納。 画集 『魯山人画展』 へ執筆。
・1945(昭和20)年 60 歳 『京都新聞』 朝刊へ 「ビルマ第1線」 絵と文を執筆。 連載8回。 兵庫県豊岡の大円寺に滞在し、襖6面に 《月下》 《芒の原図》 揮毫。 広島に原子爆弾が投下される。 終戦。
・1950(昭和25)年 65 歳 『平安』 第5号の表紙絵を執筆。 1945 年に描いた襖絵について、その経緯を大円寺に残す。 『京都』3号へ 「京女の服装美」 絵と文を執筆。
・1955(昭和30)年 70 歳 『東京と京都』 第58巻へ 「花によせて」 執筆。 『新風流』第9巻5号の表紙絵に執筆。 『そのとおり』 第9月号へ 「随想ちぎれ々々」 絵と文を執筆。
・1967(昭和42)年 82 歳 題《華厳》、京都女子大学委嘱額面へ紺紙金泥にて揮毫。 京都の旅館で数回に渉り、武者小路実篤と中国古典について談話。
・1974(昭和49)年 88 歳 京都・丸太町病院で老衰のため死去。 (亡くなる直前までもチョコレートケーキをスケッチ)

 秋聲が初めに師事した谷口香嶠は、歴史画を得意とする京都の日本画家である。 谷口香嶠は、竹内栖鳳とともに幸野楳嶺門下の 「四天王」 と称された画家の一人であった。 歴史風俗に関する深い知識を持ち、正確な考証を重視した香嶠は、明治 30 年代に歴史画が流行する中で、京都随一の歴史画家として存在感を放った。

 1916(大正 5)年、秋聲は山本春挙 (1872~1933) に入門した。 香嶠の死から 1 年後、31 歳の時である。 春挙は滋賀県滋賀郡膳所村 (現:大津市膳所) 出身。 野村文挙に師事した後、1885 (明治18)年、森寛斎に師事した。 写生に基礎を置く雄大な風景表現を以て、 大正期頃には京都画壇を代表する画家の一人となる。 春挙の主催する画塾 「早苗会」 は、京都画壇においては竹内栖鳳の 「竹杖会」 と双璧を成す最大規模の画塾であり、最盛期には 5 ・ 6 百人近くの塾生を擁したという。



お問合せ:03-3212-2485
美術館サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/
主催:東京ステーションギャラリー[公益財団法人 東日本鉄道文化財団] 、BSフジ、ライブエグザム

参考資料:Press Release 2021. 7. 7、「小早川秋聲―旅する画家の鎮魂歌」 カタログ、チラシ他。

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