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国立西洋美術館
国立西洋美術館
〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7


  

“王の画家にして画家の王”

ルーベンス展 

―バロックの誕生

RUBENS

       and the Brirth of the Baroque

 17 世紀バロック美術を代表する画家、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)。 彼は現在のベルギーの町アントウェルペンで修業し、大工房を構え活動しました。 しかし、画家としての独り立ちした直後の 1600 年から 08 年まで、おもにイタリアで過ごしたことは、わが国ではあまり知られていません。 ルーベンスはヴェネツィアやマントヴァ、そしてとりわけローマでさまざまな表現を吸収して画風を確立し、帰郷後はそれを発展させるのです。
 洗練された教養人だった彼にとって、イタリアは芸術における理想の地であると同時に、古代という理想の世界に近づきうる地でした。

 本展は、ルーベンスをいわばイタリアの画家として紹介する試みです。 彼の作品は、この地の芸術作品とともに展示されます。 古代やルネサンス、そして次の世代の作品とルーベンスの作品を比較することによって、彼がイタリアから学んだこと、そしてとりわけ、彼が与えたものはなんであったのか解明します。 ルーベンスとイタリア・バロック美術という、西洋美術のふたつのハイライトに対する新たな眼差しを、日本の観衆に与える最良の機会となることでしょう。


会期: 2018 10/16 [火]2019 1/20 [日]
休館日: 毎週月曜日 (ただし、12/24、1/14 は開館)、12/28〜1/1、1/15
開館時間: 午前 9時30分 ― 午後 5時30分 (金曜日・土曜日は 20:00 まで)
※入館は閉館の30分前まで

会場:
国立西洋美術館東京・上野公園
主催:国立西洋美術館、TBS、朝日新聞社


'2018 10_15 「ルーベンス展―バロックの誕生」 プレス内覧会・開会式の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
「ルーベンス展―バロックの誕生」開会式
 
「ルーベンス展―バロックの誕生」開会式

人文主義者、外交官にして正真正銘のルネサンス人
「ルーベンス展―バロックの誕生
開会式 '2018 10_15
会場:国立西洋美術館

 

人文主義者、外交官にして正真正銘のルネサンス人
「ルーベンス展―バロックの誕生
開会式 '2018 10_15
会場:国立西洋美術館



日本初公開! ルーベンス 最後の大作  《聖アンデレの殉教》

ルーベンス展―バロックの誕生
展覧会の概要 ― 「ルーベンス展―バロックの誕生」 図録、プレス説明会、他よりの抜粋文章です ―

みどころ 1. ―本邦初公開含むルーベンス作品約 40 点が 10 ヵ国より結集。
みどころ 2. ― 3 メートル級の大作・祭壇画が一堂に並ぶ、圧巻の展示構成
みどころ 3. ―アントワープ聖母大聖堂の祭壇画を “ほぼ原寸大” 4Kで再現

「展覧会の構成」
T ルーベンスの世界
U 過去の伝統
V 英雄としての聖人たち―宗教画とバロック
W 神話の力 1 ―ヘラクレスと男性ヌード
X 神話の力 2 ―ヴィーナスと女性のヌード
Y 絵筆の熱狂
Z 寓意と寓意的説話

 今回は、ルーベンスとイタリアの関係に焦点を当て、様々な美術館などから絵を貸し出しして頂いており、見ることが珍しく難しい作品 《聖アンデレの殉教》 マドリード、 《法悦のマグダラのマリア》 リール美術館からなどベルギー、ナショナル・ギャラリー、ウィーン、エルミタージュ美術館、リヒテンシュタイン侯爵家コレクションなど様々な国のコレクションが来ています。 その国を訪れないと見られない作品が、一緒の場所で展覧できる貴重な機会となっています。


'2018 10.15 「ルーベンス展―バロックの誕生プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
「ルーベンス展―バロックの誕生図録、「PRESS RELEASE」、「プレス説明会」 などからの抜粋文章です。
ペーテル・パウル・ルーベンス《ジュリオ・パッラヴィチーニの肖像》
cat・ 34
T ルーベンスの世界
ルーベンスは 1577 年、ドイツのジーゲンに生まれ、ケルンで幼少期を過ごした。 両親はアントウェルペン出身だが、カトリックとプロテスタントの宗教戦争のあおりを受けてドイツに亡命中であった。 父の没後、ルーベンスが 11 歳の時に母はアントウェルペンに戻る。 ルーベンスはこの町のラテン語学校に通い貴族の小姓となったが、やがて画家としての修業を開始し、1598 年には親方として登録されている。 1600 年から 08 年までおもにイタリアに滞在し、その後故郷に戻ったルーベンスは、ハプスブルク家のネーデルランド総督の宮廷画家を務めるが、宮廷のあるブリュッセルではなくアントウェルペンに住む特権を与えられる。 ルーベンスは大変なインテリでもあった。 幼い頃から人文主義的な教養を身につけた彼は、古代ローマの哲学者セネカを信奉するサークルの人々と交流し、ローマやパリの一流の学者たちと交流し、文通によって学術的な議論を交わした。 のちにルーベンスは学識や人当たりの良さ、弁舌の才を買われて、宮廷から外交の仕事を任されることとなる。
ペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》&《眠るふたりの子供》
左・cat. 35 /右・cat. 36

・cat. 34 ルーベンス作品の模写 《自画像》 1623 年以降 油彩/板 85 x 61 cm フィレンツェ、ウフィツィ美術館 /左・cat. 35 ペーテル・パウル・ルーベンス 《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》 1615-16 年 油彩/板で裏打ちしたカンヴァス 37.3 x 26.9 cm ファドゥーツ/ウイーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション /右・cat. 36 ペーテル・パウル・ルーベンス 《眠るふたりの子供》 1612-13 年頃 油彩/板 50 x 65.3 cm 東京・国立西洋美術館

・cat. 34 現在ウフィツィ美術館の、芸術家の自画像を集めたヴァザーリの回廊に飾られているこの板絵は、 1682 年にトスカーナ大公コジモ 3 世がフランドルで購入したものだ。 大公の叔父レオポルド枢機卿が始めた自画像コレクションで叔父もルーベンスの自画像を入手しようと手を尽くしたが、かなわなかった。 つまり本作品はコジモにとって、念願の 1 枚だった。左・cat. 35 本作品はルーベンスと最初の妻イサベラ・ブラントの長女クララ・セレーナに同定されたのは、大英博物館にあるルーベンスが描いた素描などから知られる母イサベラ・ブラントの容貌と、きわめて似ていることによる。 ルーベンスは家族への思いが強く、二度の結婚を通じて多くの子供を持った。 右・cat. 36 本作品がルーベンスの兄の子どもたちを描いたという説に従うと、右側の年かさに見える子が 1910 年生れのクララ、赤いビーズの首飾りを付けた左の子が 1611 年生れで、父親と同名のフィリプスということになる。 ルーベンスの家族愛は、友人たちへの愛情と並行するものであった。



ペーテル・パウル・ルーベンスと工房《セネカの死》
・cat. 3
U 過去の伝統
  ルーベンスは 1600 年、故郷アントウェルペンからイタリアへ旅立って 1608 年秋まで滞在し、古代や盛期ルネサンス、同時代の最先端の美術を目にして自らの芸術を完成させた。 最初に滞在したのはヴェネツィアで、ここで彼は宮廷画家となった。 ルーベンスはヴェネツィア派など北イタリアの美術を吸収し、特にヴェネツィア派は彼の色彩感覚や構図法に決定的な影響をおよぼした。 しかし、彼にとって最も重要だったのは、二度のローマ滞在である(1601-02 年と 1605-08 年)。 この町で最も力を注いだのは古代彫刻の研究であり、模写を通じて理想の人体像や感情表現の方法を学んだ。さらにラファエロ、ミケランジェロら最盛期のルネサンスやマニエリスムの芸術家、あるいはカラヴァッジョやアンニーバレ・カラッチら同時代の画家の作品も学び、自らの芸術を完成させた。 外交任務を帯びて 1628 年から 30 年にかけてマドリードとロンドンに滞在した折は、宮廷コレクションにあったヴェネツィア派の画家ティツィアーノの作品を熱心に模写した (cat. 18)。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》&ペーテル・パウル・ルーベンス、ティツィアーノに基づく《毛皮を着た若い女性像》
左・cat. 19 /右・cat. 18

・cat. 3 ペーテル・パウル・ルーベンスと工房 《セネカの死》 1615-16 年 油彩/カンヴァス 181 x 119.8 cm マドリード、ブラド美術館 /左・cat. 19 ティツィアーノ・ヴェチェッリオと工房 《洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメ》 1560-70 年頃 油彩/カンヴァス 90 x 83.3 cm 東京、国立西洋美術館 /右・cat. 18 ペーテル・パウル・ルーベンス、ティツィアーノに基づく 《毛皮を着た若い女性像》 1629-30 年頃 油彩/カンヴァス 91.8 x 68.3 cm ブリスベン、クイーンズランド美術館

・cat. 3 古代ローマの哲学者セネカはネロ帝の家庭教師を務めていたが、のちに陰謀への加担を疑われて自殺を強要された。 セネカの思想はキリスト教に近いとされ、キリスト教徒に禁じられていた自殺によって死ぬため、ここでは図像を変更することで、自殺ではなく、他殺による殉教の性格を強める、自殺を強要する背後のふたりの兵士や画面右の人物は静脈を切っている。 セネカが上空を見上げているのは殉教者を髣髴とさせ、湯が張られた盥は洗礼盤を思わせる。 セネカの自殺は処刑による、極限的な苦痛を感じてもなお超然としたその態度に、人間の弱さを超越する美徳を認めていた。左・cat. 19 本作品は新約聖書にあたる洗礼者聖ヨハネとサロメの物語を題材としている。 王から与えられた、盆にのせたヨハネの首をこちらに、母に差し出すサロメである。 この絵の制作にはティツィアーノ自身が大幅に手を入れている。右・cat. 18 ルーベンスがティツィアーノに基づいて制作した作品の 1 点 「ヴェネツィアの娼婦の像」 と推測される。 ティツィアーノは、ルーベンスが生涯で最も影響を受けた画家であった。



ペーテル・パウル・ルーベンス《聖アンデレの殉教》
・cat. 33
V 英雄としての聖人たち―宗教画とバロック
 ルーベンスが生きた時代のヨーロッパは、カトリックとプロテスタントが激しく対立していた。 カトリック側は改革を進め宗教画像についてもさまざまな決まり事や方針を設けた。 宗教画はわかりやすく、リアルで、信者の感情に訴えかけるものであることが求められたが、それが遠因となってローマではカラヴァッジョやアンニーバレ・カラッチらによって、新たな美術様式が芽生えることとなる。 ルーベンスが実際、古代彫刻や盛期ルネサンスの理想的でたくましい身体像を男性の聖人に、気品あふれる婦人像を聖女に当てはめたのであった。 ルーベンスが宗教画に示した手法は若い世代の芸術家たちを魅了することとなる。
ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》&ペーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》
左・cat. 25 /右・cat. 22

・cat. 33 ペーテル・パウル・ルーベンス 《聖アンデレの殉教》 1638-39 年 油彩/カンヴァス 306 x 216 cm マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団
左・cat. 25 ペーテル・パウル・ルーベンス 《キリストの哀悼》 1612 年頃 油彩/カンヴァス 150.5 x 203.8 cm ファドゥーツ/ウイーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション /右・cat. 22 ペーテル・パウル・ルーベンス 《キリスト哀悼》 1601-02 年 油彩/カンヴァス 180 x 137 cm ローマ、ボルゲーゼ美術館

 ・cat. 33 ヤコブス・デ・ウォラギの 『黄金伝説』 に記述された、聖アンデレの殉教の場面のクライマックスが描かれている。 本作品はおそらくこれほどの大作としては、ルーベンスの描いた最後の宗教画となる。 この作品を見れるのは珍しい貴重な機会である。 左・cat. 25 1600 年代から 10 年代にかけて、ルーベンスは、キリストの死を悼む人々を描く 「キリスト哀悼」 の主題にたびたび取り組んだ。 右・cat. 22 本作品にはキリスト教の奥深い教義が暗示されている。 たとえば、石棺の上にイエスが載せられているのは、埋葬をほのめかすとともに、ミサの際に祭壇で聖別されたパンとぶどう酒が、キリストの肉と血に変化すること (全質変化) を象徴している。


ペーテル・パウル・ルーベンス《へスぺリデスの園のヘラクレス》
・cat. 55
W 神話の力 1 ―ヘラクレスと男性ヌード
  ルーベンスは宗教画においても古代世界の英雄のようね聖人を描いていたが、神話の世界を描くとき、彼の想像力は一層発揮された。 古代神話の英雄の中で最も男性らしいのはヘラクレスであるが、ルーベンスはとりわけ、著名な彫刻家である 《ファルネーゼのヘラクレス》 に魅了され、その造形を学び取って自作に応用した。 彼はローマのファルネーゼ家にあった彫刻を何度も素描し、さらにはその肉体を立方体に置き換えてみたり、あるいは顔を牡牛や獅子と比較したりして、造形の秘密を解き明かそうとした。
 晩年の作 《へスぺリアスの園のヘラクレス》(cat. 55)はまさに 《ファルネーゼのヘラクレス》 を絵画化した作品である。 彫刻のもつ量感を保ちつつ、いかにして生き生きとした肌の色彩や身体の動きを与えるのかが、ルーベンスの腕の見せどころであっただろう。
 ピエトロ・ダ・コルトーナの 《懲罰を受けるヘラクレス》(cat. 51)は、ルーベンスの同主題作品を下敷きとし、どちらも古代彫刻 《ベルウェデーレのトルソ》(cat. 27)を引用している。 グイド・レーニの 《ヒュドラ殺害後休息するヘラクレス》(cat. 50)もやはり同じ古代彫刻を下敷きとする。 ルーベンスはレーニの作品の模写素描を行うなど、この画家に関心を示した。
ピエトロ・ダ・コルトーナ《懲罰を受けるヘラクレス》&グイド・レーニ《ヒュドラ殺害後休息するヘラクレス》
左・cat. 51 /右・cat. 50

・cat. 55 ペーテル・パウル・ルーベンス 《へスぺリデスの園のヘラクレス》 1638 年 油彩/カンヴァス 246 x 128.5 cm トリノ・サバウダ美術館 /左・cat. 51 ピエトロ・ダ・コルトーナ(本名:ピエトロ・ベッレッティーニ) 《懲罰を受けるヘラクレス》 1635 年頃 油彩/カンヴァス 242 x 171.5 cm ファドゥーツ/ウイーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション /右・cat. 50 グイド・レーニ 《ヒュドラ殺害後休息するヘラクレス》 1620 年頃 油彩/カンヴァス 224 x 175 cm フィレンツェ、パラティーナ美術館

・cat. 55 ヘラクレスが龍ラドンを殺し、12 の功業のうち 11 番目にあたる仕事で、ヘスペリデスの園で守られている、ゼウス(ユピテル)の妻ヘラ(ユノ)の所有する樹から黄金の林檎を手に入れるというものである。 左・cat. 51 オウィディウスの 『名高き女たちの書簡』 によるヘラクレスにまつわる主題であり、友人イピトスを殺した罰として、リュディアの女王オンファレのもとで奴隷として働く姿を描いている。 ここでヘラクレスは棍棒を取り上げられ、糸紡ぎの道具を渡されている。右・cat. 50 ヘラクレスの 12 の功業のうち 2 番目のレルネのヒュドラ(水蛇)退治の話である。 画中でヒュドラ(水蛇)はすでに打ち倒され、ヘラクレスの足元の地面に横たわっている。



ペーテル・パウル・ルーベンス

高徳さと賢明さ、教養ある知識人 ルーベンス 「重厚で慎重な物腰」 を備えた紳士 (「ルーベンス伝」ベッローリ)

  ベッローリ記するところの 「彼の天賦の善良さ」 の現れであって、ベッローリは画家の作品と同様にその人物像をも評価し、彼のことを 「荘重かつ人間的」 と形容した。 ルーベンスの偉大さは、ベッローリによって絶賛された 「絵筆の熱狂」 に如実に現れており、企業家としての才能と自分の工房の組織力に由来する膨大な制作の中に明白であって、また彼の時代ヨーロッパの政治的な出来事においても決定的なものだった。 またその偉大さは、17 世紀を通じての絵画文化の発展の中に反響してもいる。 ジュリアーノ・ブリガンティが鋭く洞察したように、ルーベンスの貢献は、根本的にバロックの肯定というところにあった。 それは、イタリアにおいては、 「1630 年代の世代」 の芸術家が含まれていたが、彼らはヴェネツィアの色彩主義の伝統に、雄弁な語り口による対抗宗教改革の注釈を加えたのである。

ペーテル・パウル・ルーベンス (1577 年― 1640 年)

 ヤーコブ・ブルハルトは、世を去るわずか 1 年前の 1896 年、ルーベンスの熱烈な文学的伝記を刊行した。 ブルクハルトの場合も、古典主義美学とラファエロ神話に基づく彼の趣味形成は、彼が生涯にわたって抱き続けたルーベンスおよびその作品に対する興味と、相容れないものであるように思われる。 ブルクハルトは画家の 「巨人的な空想力」 を大いに称賛したのである。 ルーベンスの芸術を見ると、「巨大な波に乗せられて運び去られ、分析することなど不可能となる」 ように感じると記している。 ルーベンスの無数の天分に次第に魅了されていった彼は、まさしく彼の描き方や生き方の表現に常に伴うかに見える調和に心を奪われた。 実際ブルクハルトは、ルーベンスが 「輝かしい気質の持ち主でもあって、その存在によって既に信頼や融和を生み出していた…」 と書いている。 ここには、画家を 「荘重かつ人間的」 と形容したベッローリの定義にきわめて近いものが認められる。
 愛と友情が古典世界の調和的ヴィジョンにおいて結びつき、そこからルーベンスは彼の生涯の特徴をなす、あの倫理的価値を引き出した。 それは、画家と交流のある外国人の知的サークルの思想の核心をなすストア派哲学の諸原則がその中で完全に融合した、キリスト教的な世界観である。


お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト:http://www.tbs.co..jp/rubens2018/
国立西洋美術館サイト:http://www.nmwa.go.jp/
主催:国立西洋美術館、TBS、朝日新聞社

後援:ベルギー大使館、イタリア大使館、ベルギー・フランダース政府観光局、BS-TBS、TBSラジオ
特別協賛:大和証券グループ
協賛:NISSHA株式会社、あいおいニッセイ同和損保、三井物産、東日本旅客鉄道株式会社、株式会社シュガーレデイ
協力:アリタリア、日本貨物航空、日本航空、日本通運、ルフトハンザカーゴ AG、ルフトハンザ ドイツ航空、西洋美術振興財団

参考資料:「ルーベンス展―バロックの誕生図録、PRESS RELEASE & 報道資料[ニュース vol.1] 、他。
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