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国立西洋美術館
国立西洋美術館
〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7


日本スペイン外交関係樹立 150 周年記念

プラド美術館展

ベラスケスと絵画の栄光

The 150th Anniversary of the Establishment of Diplomatic Relations between Japan and Spain

VELÁZQUEZ AND THE CELEBRATION OF PAINTING:
THE GOLDEN AGE IN THE MUSEO DEL

PRADO

 世界屈指の美の殿堂として知られるプラド美術館は、スペイン王室によって収集されたスペイン、イタリア、フランドル絵画を中心に、1819 年に王立の美術館として開設されました。
 本展は、日本スペイン外交関係樹立 150 周年を記念して、プラド美術館の全面的な協力のもと、西洋美術史最大の画家の一人であるディエゴ・ベラスケス (1599-1660 年) の作品 7 点を軸に、17 世紀絵画の名品など 61 点を含む約 70 点を紹介するものです。 プラド美術館は現存する約 120 点のベラスケス作品のうち約 4 割を所蔵していますが、その重要性ゆえに館外の貸し出しを厳しく制限しています。 そうした中で日本において 7 点もの傑作が一堂に展示されるのは、特筆すべきことといえましょう。

 17 世紀のスペインは、ベラスケスをはじめリベーラ、スルバランやムリーリョなどの大画家を輩出しました。 彼らの芸術を育んだ重要な一因に、歴代スペイン国王がみな絵画を愛好し収集したことが挙げれます。 国王フェリペ 4 世の庇護を受け、王室コレクションのテイツィアーノやルーベンスの傑作群から触発を受けて大成した宮廷画家ベラスケスは、スペインにおいて絵画芸術が到達し得た究極の栄光を具現化した存在でした。 本展は、フェリペ 4 世の宮廷を中心に 17 世紀スペインの国際的なアートシーンを再現し、幅広いプラド美術館のコレクションの魅力をたっぷりご覧いただきます。


会期: 2018 2/24 [土] 5/27 [日] 展覧会は終了しました。
休館日: 毎週月曜日 (ただし、2018 年 3月26 日[月]と 4 月 30 日[月]は開館
開館時間: 午前 9時30分 ― 午後 5時30分 (金曜日・土曜日は午後 8時まで)
※入館は閉館の30分前まで

東京会場:
国立西洋美術館東京・上野公園
主催:国立西洋美術館、プラド美術館、読売新聞社、日本テレビ放送網、BS日テレ

――・・・・・・・・・・・・・・・・――
巡回展 会期: 2018 6/13 [水] 10/14 [日]
兵庫会場:兵庫県立美術館神戸市中央区
主催:兵庫県立美術館、プラド美術館、読売新聞社、読売テレビ


'2018 2_23 「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」 プレス内覧会・開会式の会場内の風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」開会式
 
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光」開会式

日本スペイン外交関係樹立 150 周年記念
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光
開会式 '2018 2_23
会場:国立西洋美術館

 

日本スペイン外交関係樹立 150 周年記念
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光
開会式 '2018 2_23
会場:国立西洋美術館



スペイン黄金世紀の宮廷文化 ベラスケスと絵画の栄光 国王のステータスに花開く

プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光
展覧会の概要 ― 「プラド美術館展」 図録、チラシ他よりの抜粋文章です ―

 本展は、タイトル通り、ベラスケスを中心にプラド美術館のコレクションから構成されている。 この展覧会では、ベラスケスの脇を固めるにあたってスペイン人画家の作品だけが選ばれるのではなく、外国人の画家も数多く紹介される。 イタリア人の画家も、フランドル人の画家も、オランダ人の画家も、フランス人の画家も登場する。 本展では、この現況に至るまでの歴史的、批評史的な経緯を示したい。

「展覧会の構成」
T 芸術
U 知識
V 神話
W 宮廷
X 風景
Y 静物
Z 宗教
[ 芸術理論

本展の第 T 章「芸術」、第 U 章「知識」、第 V 章「神話」 では、知識と文化に関する当時の全般的な議論をまとめ、西洋の伝統における美術の実践そのものや絵画制作の基本的な問題について考察。 第 W 章特に 「宮廷」 をとりあげる。 第 X 章 「風景」 スペイン風景画制作はマドリードを舞台とし宮廷を主に展開。 第 Y 章「静物」 は、17 世紀の西洋絵画全体と最も密接に結びついたジャンルの一つであるが、ベラスケスの作品が含まれていない。 第 Z 章「宗教」 では、ベラスケス、マイーノ、リベーラ、ヴァン・ダイク、ムリーリョ、ルーベンス らの 11 点の作品から、スペイン人画家と外国人画家のつながりを強調。 本展では、絵画のほかに 9 点の書籍を第 [ 章に展示。 これらの絵画理論書や素描の入門書、重要な建造物の記述、祝祭の記録を通して、黄金世紀に美術上の様々なテーマの考察とその普及の一端に触れる。


'2018 2.23 「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光プレス内覧会の会場内風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光図録、「PRESS RELEASE」、「チラシ」 などからの抜粋文章です。
ホセ・ガルシア・イダルゴ《無原罪の聖母を描く父なる神》
・4
T 芸術
 16、17 世紀のスペインで制作された大部分の作品は宗教的性質のものであった。 事実、エル・グレコ、ムリーリョ、スルバランやビセンテ・カルドゥーチョの作品カタログでは宗教画の割合は全体の 85 パーセントを超える。 そのことは、芸術に関する議論の大部分を宗教的イメージに集中させることにもなった。 スペインでは宗教における美術の問題は非常に重要であった。 というのは、プロテスタントは宗教的イメージを用いること否定し、偶像崇拝的な習慣を奨励するカトリックを非難していたからである。 カトリックが宗教美術を擁護するために用いた二つの主要な論拠は、布教に際しての実用性と、視覚イメージが神によって望まれたことを証明する様々な伝承であった。 人々は、視覚イメージが自分の生活に何らかの形で介入する力があると感じていたのである。 このことは特に宗教美術に関して明らかなことであったが、しかし、世俗的なイメージにおいて起こっていたのである。 たとえば肖像画のように、伝統的に 「生身の人物」 と 「描かれた人物」 という概念の間に確かな緊張関係が存在していた分野においても認められるのである。 この章は、鑑賞者に黄金世紀における芸術と視覚イメージの概念に親しんでもらい、現代の美術の見方との類似点だけでなく、相違点につても理解してもらうための序節にあたる。
ディエゴ・ベラスケス《フアン・マルティネス・モンタニュースの肖像》&ジュゼベ・デ・リベーラ《触覚》
・1 ・2

左・4 ホセ・ガルシア・イダルゴ 《無原罪の聖母を描く父なる神》 1690 年頃 油彩/カンヴァス 185 x 146 cm
中・1 ディエゴ・ベラスケス 《フアン・マルティネス・モンタニュースの肖像》 1635 年頃 油彩/カンヴァス 109 x 88 cm
右・2 ジュゼベ・デ・リベーラ 《触覚》 1632 年 油彩/カンヴァス 125 x 98 cm

右・4 「月を足の下にし、頭には十二の星の冠」(黙示録12:1) をかぶった無原罪の宿りの聖母の絵が、画面のほぼ中央に画中画として描かれる。 その画中画に仕上げの筆を入れているのは父なる神。 頭上には、聖三位をかたどる三角形の光背がうっすらと浮かび上がる。 絵を描く画家として表された神の像は、世界の創造主としての役割を比喩的表現している。 その姿は時に、天地創造の場面とも組み合わされた。 中・1 彫刻家は、繻子のようなつやのある黒い宮廷服に身を包み、右手に箆を持ち左手で粘土像を支え、胸を張り姿勢を正した半身像で描かれている。 彫刻家が制作しているのは、国王フェリペ 4 世の頭部の粘土像である。 17 世紀の宮廷画家の日常的な仕事が肖像画の制作であり、ベラスケスが自然主義絵画を基本の姿勢としてスペイン・ハプスブルク王家の宮廷肖像画の有り様 「物語画」 より一も段低いカテゴリーと見なされる 「肖像画」 の重要性を示している。 王侯たちは最良の画家の中から肖像画家を選んだし、これらの画家たちは権力者たちのそばに仕えることによって、貴族に叙されることにもなった。 右・2 カラヴァッジョ 譲りの明暗の激しいコントラストと、厚塗りの筆致で絵具の質感を生かしながら額や手の皴を克明に描き出していく絵画的なリアリズムは、1630 年前後のリベーラ作品の様式的特徴である。



ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤーコプ・ヨルダーンス《アンドロメダを救うペルセウス》
・17
V 神話
  古代の人々は、神々とその物語を核として自分たちの宗教を体系化した。 そうした神々とその物語の総体は神話と称されるようになり、ルネサンス期以降のヨーロッパ文化において極めて重要な役割を担うこととなる。 この時代に与えられた 「ルネサンス」 という名称そのものが、古典文化の、そしてそれとともに神々が繰り広げる聖なる物語の体系の、「再生」 あるいは再興という考えを示唆していることは、周知の通りである。 15 世紀以降、古代の神々の名前や彼らの物語は、次第に、教養ある人ならば備えておくべき知識の根幹をなすようになったのであり、そこから生み出された文学作品や美術作品は数知れない。 黄金世紀のスペインにおける絵画を語る際、スペインで制作されたものだけを考えるわけにはいかない、帝国を率いる立場で、フランドルやイタリアのかなりの部分がら、支配下に置かれた他のヨーロッパの絵画制作地から作品を調達してきたからである。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 《音楽にくつろぐヴィーナス》&ディエゴ・ベラスケス《マルス》
・15 ・14
左・17 ペーテル・パウル・ルーベンス、ヤーコプ・ヨルダーンス 《アンドロメダを救うペルセウス》 1639-41 年 油彩/カンヴァス 223 x 163 cm
中・15 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ 《音楽にくつろぐヴィーナス》 1550 年頃 油彩/カンヴァス 138 x 222.4 cm
右・14 ディエゴ・ベラスケス 《マルス》 1638 年頃 油彩/カンヴァス 179 x 95 cm

右・17 古代ローマの詩人オウィデイウス著 『変身物語』 に取材し、海の怪物への生贄として差し出されたエチオピアの王女アンドロメダを、英雄ペルセウスが開放する場面が描かれる。 中・15 ティツィアーノの活動後期の代表作に数えられる本作品は、繰り返し手がけたヴィーナスとオルガン奏者を主題とする絵画の一つである。右・14 本作で画家は軍神マルスをあくまでも現実の戦士と捉え、その疲れ切った姿を描いている。 ベラスケスは、ティツィアーノとルーベンスについて深く考察し、この二大巨匠が属する色彩主義の伝統のうちにあって独自の色を出そうと探究を重ね、その独自色を マルス の中に認められよう。 スペインでは、特に 1630 年代以降、裸体画を描くことや裸体画を公の場に飾ることが重罪とされるようになり、スペイン絵画収集史における最大のパラドックスが生じている。 神話を描くことは、道徳的概念と美術的概念が交錯する領域、つまり裸体の描写と直結していた。 裸体は一方で、ルネサンス以来の西洋の古典主義的伝統における優れて 「芸術的な表現形式」 であり、画家たちにとっては自分の能力の高さを最もよく示すことができる機会であった。 しかし、他方で裸体は、道徳的観点からすれば猥褻さと結びつく危険な領域でもあった。 王室コレクションには裸体が描かれた神話画や宗教画が溢れており、その多くはティツィアーノやルーベンスをはじめとするイタリアやフランドルの画家たちの手になるものであった。



ディエゴ・ベラスケス《王太子バルタサール・カルロス騎馬像》
・34
X 風景
  風景画は、神話画や風俗画と並んで、17 世紀のスペイン人画家たちにとって比較的疎遠であったジャンルの一つであり、現在の 17 世紀スペイン美術史研究において、おそらく最も立ち遅れているジャンルである。 しかし 17 世紀スペインの王侯貴族の芸術コレクションに風景画は頻出し、マドリードにフェリペ 4 世が造営させたブエン・レティーロ宮殿には、クロード・ロランやニコラ・プッサンといったビックネームの作品から、作者不詳のフランドル派の作品に至るまで、200 点以上の風景画が飾られていた。 しかし、それらの風景画の大半がスペイン人ではない画家による制作で、イベリア半島外から 「輸入」 されたものであった。 つまり 17 世紀スペインに風景画はあったが、スペイン人で風景画を専門に、ないし頻繁に描いた画家はまれであった。
サルヴァトール・ローザ《海景》&ペドロ・デ・オレンテ《聖ヨハネス・クリュソストモス》
・39 ・38
左・34 ディエゴ・ベラスケス 《王太子バルタサール・カルロス騎馬像》 1635 年頃 油彩/カンヴァス 211.5 x 177 cm
中・39 サルヴァトール・ローザ 《海景》 1638-39 年 油彩/カンヴァス 170 x 260 cm
右・38 ペドロ・デ・オレンテ 《聖ヨハネス・クリュソストモス》 17 世紀前半 油彩/カンヴァス 110 x 128 cm

左・34 王位継承者の王太子バルタサール・カルロスの凛々しく愛らしい公式騎馬像である。 王太子は王族の期待と希望を担って 1629 年 10 月 17 日、父国王フェリペ 4 世とフランス・ブルボン王家から嫁いだ王妃イサベルとの間に誕生した。 ベラスケスはイタリア遊学中のために不在で、国王は、幼い王太子の肖像を寵愛の 「余の宮廷画家」 のみに描かせようと早急な帰国を心待ちにしていたという。 本作は 「諸王国の間」 のために描かれ宮廷的な性格を帯びた、素晴らしい王室肖像画であると同時に、ヨーロッパの風景画史における名作の一つでもある。 ローマの風景と共通する流麗かつよどみのない色彩で山並みがはっきりと描き出されている点で特筆に値する。 中・39 本作がブエン・レティーロ宮殿のためにローマで注文された絵画装飾の一部であったことを示す数々の証拠が存在する。 たとえば、左下部に見える白字の 180 という数字は、カルロス 2 世の没後財産目録中の風景画のギャラリーの箇所に現れる数字に対応している。右・34 聖ヨハネス・クリュソストモスは、4 世紀のコンスタンティノープル主教で、15 世紀に広まった聖人伝に基づく、隠遁生活を送っていた彼のもとに王女が悪魔祓いを求めて訪れたが、彼女を襲い、崖から突き落としてしまう。 罪を悔いた彼は砂漠に引きこもって、神の許しを乞う。


フアン・バウティスタ・マイーノ《聖霊降臨》
・52
Z 宗教
  聖なる存在があたかも眼前に実在するかのように表すことが、宗教芸術の一つの本質であるとすれば、バロック美術の 17 世紀はその極限を突き詰めた時代であった。 ローマ・バロック美術の大聖堂や時代の先駆者イタリアの個性的な画家カラヴァッジョは、光と影を巧みに対比し操ることで、日常空間を聖書の世界に変貌させる。 このような芸術を生み出す背景にあったのは、16 世紀以来の緊迫した宗教情勢だ。 ルターの登場によって一気に高まった宗教改革の熱狂はヨーロッパを激動の時代に導き、カトリック教会とその信仰の有り様は激しい議論の的となった。 プロテスタントの陣営は、聖母や聖人への崇敬を否定するとともに、聖像の美術を偶像崇拝として排斥した。 この対抗宗教改革期の美術は、キリストの受難の痛みや苦しみは一層生々しく描写され、聖人の殉教や神秘体験はどこまでもドラマティックに賛美された。 カトリック教会の擁護者を任じたハプスブルク朝のスペインは、美術制作の場においても数々の個性的な宗教画を生み出した。 17 世紀半ばになると、セビーリャにおいても、ルーベンスが代表するような盛期バロックの華やかな絵画作品が登場する。 その隆盛は、対抗宗教改革運動の立役者であったスペイン・ハプスブルク王家と命運をともにしつつ、17 世紀の末年の向けた、スペイン美術の黄金時代の最後の輝きを放ったのだった。
ジュゼペ・デ・リベーラ《聖ペテロの解放》&マッシモ・スタンツィオーネ《洗礼者聖ヨハネの斬首》
・53 ・54
左・52 フアン・バウティスタ・マイーノ 《聖霊降臨》 1615-20 年 油彩/カンヴァス 324 x 246 cm
中・53 ジュゼペ・デ・リベーラ 《聖ペテロの解放》 1639 年 油彩/カンヴァス 177 x 232 cm
右・54 マッシモ・スタンツィオーネ 《洗礼者聖ヨハネの斬首》 1635 年頃 油彩/カンヴァス 184 x 258 cm

左・52 本作はトレドの跣足カルメル会修道院聖堂主祭壇衝立のために制作された。 同修道院は聖霊の名のもとに創建された修道院で、聖母マリアや十二使徒たちの眼前に聖霊が表れる 「聖霊降臨」 の場面で聖霊はキリスト教の伝統に則り、白い鳩の姿で表され、 聖母を構図の中心として、マグダラのマリアと使徒たちが囲むように配置されている。 17 世紀初頭にローマで絵画を学んだマイーノはカラヴァッジョの作品に通暁しており、強烈な光の照射と濃密で滑らかな筆致によって強調された人物像は、彫刻の如く造形されている。中・53 「聖ペテロの解放」 は、新約聖書の使徒言行禄に基づく場面である。 投獄され、鎖につながれて兵士たちの間に寝ていたペテロのもとに天使が現れ、「急いで立て」 といって彼を解放したという逸話である。 本作は夜の暗い牢獄内の情景であることからも、カラヴァッジョに由来する明暗のコントラストを強調した照明法が際立っている。右・54 洗礼者聖ヨハネは、神の子イエス・キリストの先駆者である。 動物の皮を身にまとい、あらゆる人間に、罪を悔い改め、慈愛を実践する義務を説いた。 ガリラヤのローマ支配者ヘロデ・アンティパスは、妻を離縁し、異母兄弟ピリポの妻で自分自身の姪にあたるヘロディアスと暮らしていた。 洗礼者聖ヨハネは彼の振る舞いを非難し、ヘロデとヘロディアスをひどく怒らせた。 そのため、ヘロディアスは彼を幽閉させた。 ヘロディアスはある宴を利用して、踊りでヘロデをいたく喜ばせた自分の娘サロメに、聖ヨハネの首を褒美として求めるようにそそのかした。 ヘロデは、盆の上に聖ヨハネの首をのせて彼女の願いをかなえた。 バロック時代の画家たちが頻繁に描いたのは、本作に見える場面、すなわち犠牲者となった聖ヨハネがキリスト教的諦観で斬首を受け入れる瞬間、あるいは若きサロメが首をのせた盆を両手に持って母親ヘロディアスにそれを捧げるところであった。



プラド美術館

プラド美術館  ―「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光 図録、チラシよりの抜粋文章―

 スペインの首都マドリードにその陣容を構えるプラド美術館は、1819 年に開館した世界屈指の美術館です。 現在、収蔵作品は古代から 20 世紀初頭までをカバーし、総数 37,000 点を越えますがそのコレクションを特徴付けるものは、単なる規模の大きさや百科事典的な網羅性ではありません。 プラド美術館は基本的に絵画を中心とした 「絵画館」 であり、自国スペインの画家たちの作品、ならびに芸術の大パトロンであった歴代のスペイン国王が好み収集した作品を中心に形成されています。 そしてその個性と濃密さにおいて、世界の他の美術館と一線を画しているのです。
 したがって、カール 5 世やフェリペ 2 世に重用されたヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ、フェリペ 4 世の宮廷画家ベラスケスや同じ国王が高く評価したフランドル人画家ルーベンス、そしてカルロス 4 世宮廷画家ゴヤに関して、世界で最も充実したコレクションを誇ります。 エル・グレコ、リベーラ、スルバラン、ムリーリョといったスペイン黄金世紀の絵画に関しても同様です。 ラファエロ、ティントレット、クロード・ロラン、デューラー、ロヒール・ファン・デルウェイデンやボッスに関しても、世界有数の傑作群を有しています。 また、フォルトゥーニやソローリャといったスペイン 19 世紀絵画の重要な作品群を所蔵していることも忘れてはなりません。
 2007 年には待望の新館 (ラファエル・モネオ設計) が完成し展示スペースを大幅に増床させただけでなく、21 世紀をリードする世界的美術館としての調査研究設備の拡充を実現しています。

ベラスケス・ディエゴ (セビーリャ、1599年―マドリード、1660年) ―作家解説より―

 17 世紀西洋美術を代表する大画家。 セビーリャに生まれ、フランシスコ・パチェーコの工房で学ぶ。 1617 年には同地の画家組合に登録され活動を開始。 翌年パチェーコの娘と結婚。 1623 年、フェリペ 4 世の王付き画家に任命され、マドリードに移住。 以後は肖像画を主な制作分野とし、質実を旨に写実と理想を融合させた公式の王家の肖像を描く傍ら、鋭い人間心理の観察力を光らせた矮人や道化の似姿を残した。 1630 年代初めから 40 年代初めにかけてはブエン・レティーロ宮殿とトーレ・デ・ラ・パラーダ (狩猟休憩塔) の絵画装飾に加わり、画家として最も多忙かつ多産な時期を送る。 しかし、その後 1643 年に王室侍従代に任命、廷臣としての仕事や王室コレクションの絵画のかけ替えを含む宮殿装飾全般に関する仕事に多くの時間を費やすようになる。 1648-51 年に再度イタリアを訪れたのも、諸王宮を飾る古代彫刻など美術品の買いつけが主目的であった。 1625 年からは王宮配室長としての重職を務め、制作の現場からは遠ざかったが、それでも 《ラス・メニーナス》 (プラド美術館) と 《アラクネの寓話(織女たち)》 (プラド美術館) という肖像画と神話画の二大傑作を制作。 重層的に組み立てた絵画空間と、遠くから見ると形をなす粗い染みを駆使した 「視覚的」 なリアリズムにより、ルネッサンス以降西洋美術が追い求めた再現芸術としての絵画の一つの頂点を築いた。 1659 年には念願のサンティアゴ騎士団入団を果たすがその翌年没。


お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会公式サイト:http://prdo2018.yomiuri.co.jp
国立西洋美術館サイト:http://www.nmwa.go.jp/
主催:国立西洋美術館、プラド美術館、読売新聞社、日本テレビ放送網、BS日テレ

後援:スペイン大使館
特別協賛:キャノン
協賛:花王、損保ジャパン日本興亜、大日本印刷、大和証券グループ、大和ハウス工業、東レ、三井物産
協力:西洋美術振興財団、イベリア航空、日本貨物航空、ヤマトロジスティクス

参考資料:「プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光図録、PRESS RELEASE & 報道資料 、他。
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