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国立新美術館
国立新美術館
〒106-8558 東京都港区六本木 7-22-2


Pierre Bonnard
I’ éternel été

オルセー美術館特別企画

ピエール・ボナール展

「視覚神経の冒険」へ いざ、

 このたび、オルセー美術館の豊富なコレクションを中心として、国内外の美術館ならびにご所蔵家のご協力を仰ぎ、「オルセー美術館特別企画 ピーエル・ボナール展」 を開催する運びになりました。

 ピエール・ボナールは、19 世紀末から 20 世紀前半にかけてフランスで活躍した画家です。 ナビ派の一員としてパリで活躍していたボナールは、「日本かぶれのナビ (ナビ・トレ・ジャポナール)」 と称されるほど日本美術に愛着を持っていました。 本展ではその影響がよく表れているナビ派時代の作品はもちろんのこと、リトグラフによるポスターや本の挿絵といったデザインに関する仕事、そして画家が画業の着想源のひとつとしていた写真など、ボナールの多彩な側面をご紹介いたします。

 ボナールは生涯の伴侶マルトをはじめ、複数の女性をモデルとして数多くの裸婦像を描いています。 これらの女性たちは、画家にとっての重要な芸術的霊感源のひとつでした。 画家はしばしばパリを離れてノルマンディー地方や南フランスにも滞在し、モネや他の画家たちとの交流を通じて、色彩の探究に没頭するようになります。 身近な主題を描き続けたボナールは、目にした光景の鮮烈な印象を絵画化することに専心します。 その作品には、思いがけない構図や複雑に響き合う色彩によって、何気ない情景に緻密な仕掛けが施されています。 このような画家の生涯を余すことなく明らかにする本展は、日本におけるピエール・ボナールの最も充実した展覧会のひとつとなるでしょう。

会期: 2018 9/26 [水] 12/7 [月]
休館日: 毎週火曜日
開館時間: 午前 10時 ~ 午後 6時 (毎週金・土曜日は、午後 8時まで)
※入場は閉館の30分前まで

会場:
国立新美術館企画展示室1E (東京・六本木)
主催:国立新美術館、オルセー美術館、日本経済新聞社

'2018 9_25 オルセー美術館特別企画 「ピエール・ボナール展」のプレス説明会 &プレス内覧会のご紹介です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
「ピエール・ボナール展」プレス説明会(国立新美術館)

オルセー美術館特別企画 「ピエール・ボナール展
プレス説明会 '2018 9_25
国立新美術館 (東京・六本木)



  
オルセー美術館の ボナール・コレクション が一挙来日!
30 点は初来日! 国内外作品を加え、総点数 130 点超

オルセー美術館特別企画 「ピーエル・ボナール展

「ピーエル・ボナール展」 【見どころ 】
・1 視覚神経の冒険 ―ぼんやりとした印象を与え、構図も遠近法も不可思議なボナールの絵をよく見ると、思いがけない発見があります。 目にとらえた形や色がものとしての意味をなす以前の 「なまの見かた」 を絵にする試みを、ボナールは手帖に 「絵画、つまり神経の冒険の転写」 と書きつけています。
・2 動物 ―動物を愛し、猫と 4 匹の犬を飼っていたボナール。 生涯で残した 2300 点あまりの絵画のうち 700 点ほどに動物を描き込んでいます。 ジュール・ルナールの 『博物誌』 の挿絵では、ロバやニワトリ、クジャク、シカ、ウサギといった多種多様な動物を生気あふれるタッチで描きだしています。
・3 マルト ―1893 年、パリの街角でボナールはマルト・ド・メリニ―と名乗る少女と出会います。 この時ボナールは 26 歳、マルトは 16 歳だと告げました。 豪奢な体つきに紫がかかった青い目をした彼女は、やがてボナールの恋人となります。 1 日に何度も入浴するマルトのために、晩年の家に当時としては贅沢な浴室を備えつけました。 ボナールがマルトの本名と実年齢 (ボナールよりも 2 歳年下) を知ったのは、1925 年に 2 人が正式に結婚した時でした。
・4 ジャポニスム ―ジャポニスムが一世を風靡した 19 世紀のパリ。 ボナールも歌川国貞や国芳、安藤広重の浮世絵を所蔵し、「日本かぶれのナビ」 と呼ばれるほど日本美術を愛好していました。 屏風を思わせる縦長の構図や、平板な色面構成、遠近表現には、浮世絵からの影響がみられます。

展示構成
1. 日本かぶれのナビ
2. ナビ派時代のグラフィック・アート
3. スナップショット
4. 近代の水の精たち
5. 室内と静物「芸術作品―時間の静止」
6. ノルマンディーやその他の風景
7. 終わりなき夏


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'2018 9_25 オルセー美術館特別企画 「ピーエル・ボナール展」 のプレス内覧会風景と展覧会説明会の撮影画像、図録などからの抜粋文章です。
《庭の女性たち》
cat. 2

1. 日本かぶれのナビ
 1888年、ポール・セリュジエが先輩画家ポール・ゴーギャンの教えを受けて描いた小品から仲間たちが影響を受け、ナビ (nabiya=預言者) 派が誕生する。 当時の象徴主義で試行錯誤していたパリの若き画家たちはこの美学に集い、ボナールも平坦な色面を組み合わせて描いた。 また、世紀末のパリではアール・ヌーヴォーが一世を風靡し、壁紙や絨毯、家具、食器、女性のドレスいたるとこに装飾が溢れていた。
 結成後、間もないナビ派の画家たちは 1890 年パリの国立美術学校で開催された 「日本の版画展」 の 1000 点を超える木版画と挿絵本の浮世絵に大きな衝撃を受ける。 彼らは浮世絵の明確な輪郭線や遠近表現を絵画に積極的に取り込み、評論家フェリックス・フェネオン (1861-1944) に 「日本かぶれのナビ」 と名付けられる。

《大きな庭》《ブルジョワ家庭の午後 あるいはテラス一家》
cat. 17.18

左・cat. 2 《庭の女性たち》 1890-91 年 デトランプ、カンヴァスで裏打ちされた紙 ( 4 点組装飾パネル) 160.5 x 48 cm(各) オルセー美術館/中・cat. 17 《大きな庭》 1895 年 油彩、カンヴァス 168 x 221 cm オルセー美術館 /右・cat. 18 《ブルジョワ家庭の午後 あるいはテラス一家》 1900 年 油彩、カンヴァス 139 x 212 cm オルセー美術館

 左・cat. 2 《白い水玉模様の服を着た女性》 《猫と座る女性》 《ショルダー・ケープを着た女性》 《格子柄の服を着た女性》 ボナールの日本美術に対する強い関心が表れている初期の代表作で、1891 年に画家が初めてアンデパンダ展に参加した際に出品された装飾パネルである。 当時フランスで流布していた日本の版画は芸術家たちの新たな霊感源となり、ジャポニスムという流行が生まれた。 中・cat. 17 ボナールは夏の余暇を両親や妹アンドレの家族と共に、フランス南東部の別荘 「果樹園」 にしばしば訪れ、果物の収穫を楽しんだ。 右・cat. 18 別荘の果樹園で一家が過ごす午後の情景を戯画的にブルジョワ階級の家族の優雅なひとときを描いた。



  
 《ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸う》ピエール・ボナール、《ピエール・ボナール、自画像》
cat. 57.34

3. スナップショット
  ボナールの手による写真の大半は 1890 年代末から 20 世紀初頭にかけて撮影されたものである。 250 枚を超える写真には、家族や友人旅の写真といった親密な主題のものや、戸外やアトリエでポーズを取る裸婦などが収められている。
 彼の撮った写真は親族内で保管され、オルセー美術館が開館した 1987 年、画家の子孫は大量の古い写真とネガを美術館に寄贈した。 ナビ派と写真の関連などはまだ研究されていなかった時代のことである。

《陽光を浴びて立つマルト》、《椅子の近くに立つマルト》、マルト・ボナール《草上に座る後ろ姿のボナール》
cat. 49.48.51

左・cat. 57 《ル・グラン=ランスの庭で煙草を吸う ピエール・ボナール》 1906 年頃 モダン・プリント 6.5 x 9 cm オルセー美術館/左・cat. 34 《ピエール・ボナール、自画像》 1898-99 年 モダン・プリント 3.8 x 5 cm オルセー美術館/左・cat. 49 《陽光を浴びて立つマルト》 1900-01 年 モダン・プリント 3.8 x 5 cm オルセー美術館/中・cat. 48 《椅子の近くに立つマルト》 1900-01 年 モダン・プリント 3.7 x 5.1 cm オルセー美術館/左・cat. 51 マルト・ボナール 《草上に座る後ろ姿のボナール》 1900-01 年 モダン・プリント 3.6 x 5.3 cm オルセー美術館

左・cat. 57 フランス南東部の別荘 「ル・グラン=ランスの庭」 でパイプをくわえ、タバコを吸うボオナールが出かける寸前をスナップ写真。 グラン=ランスにある一家の地所では、胸の高さに据えたコダック製カメラのファインダーを覗き込み、庭で遊びまわる甥たちにシャッターを切った。 左・cat. 34 30 代、若き日のボナールの自画像写真。 右側・cat. 48. 49. 51 1900 年の夏、ボナールはパリ近郊のモンヴァルに小さな家を借り、この家の庭で、マルトの写真が撮影された。 裸のマルトがアトリエで写っている写真もある。 彼の絵画や、ヴェルレーヌの 『双心詩集』 のための挿絵などは、こうした写真の多くを土台として制作された。


ピエール・ボナール《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》
cat. 86
5. 室内と静物 「芸術作品―時間の静止」
  ボナールは、「不意に部屋に入ったとき一度に目に見えるもの」 を描きたかったと後年語っている。 すなわち、そこにある事物が何であるかを認識し、それらの位置関係や空間の奥行を把握する以前の、総体的な感覚をカンヴァス上に出現させようとしたのである。 この言葉を裏付けるかのように、画家は生涯にわたって、マルトをはじめとする家族や動物たちが集う親密な室内空間を描き続けた。
 ボナールは、非常に制作の遅い画家で数年にわたって描き続けることはしばしばで、ときには 10 年以上の時を経て、再び着手された作品もある。 ボナールが手帖に 「芸術作品―時間の静止」 と書き込むとき、それはけっして画家が見た光景の瞬間を切り取って描くことを意味しているわけではない。 ボナールの絵画を満たしているのは、画家が記憶と眼前のイマージを往還しながら重ねた絵具の層であり、その狭間で宙吊りにされた時間なのである。
ピエール・ボナール《桟敷席》、《室内 あるいは 犬と女性》
cat. 85.88
左・cat. 86 ピエール・ボナール 《猫と女性 あるいは 餌をねだる猫》 1912 年頃 油彩、カンヴァス 78 x 77.5 cm オルセー美術館/中・cat. 85 ピエール・ボナール 《桟敷席》 1908 年 油彩、カンヴァス 90 x 120.6 cm オルセー美術館/右・cat. 88 ピエール・ボナール 《室内 あるいは 犬と女性》 1920 年頃 油彩、カンヴァス 53 x 57 cm オルセー美術館

左・cat. 86 1893 年、パリの街角でボナールはマルト・ド・メリニーという少女に出会って、彼女は間もなくボナールの恋人となり、1925 年には正式に結婚する。 1942年にマルトが亡くなるまで、彼女はボナールの作品に頻繁に登場する。 中・cat. 85 場面はオペラ座の桟敷席、描かれている人物は、パリにベルネーム=ジュヌ画廊を開いていた画商のジョスとガストンの兄弟とその妻たちで、当時画商の兄弟は、印象派やポスト印象派など新しい絵画の潮流を積極的に紹介していた。 右・cat. 88 1900 年代になると、ノルマンディー地方や南フランスを舞台に、窓から差し込む光が満ちた室内画が多く制作されるようになる。 この作品はボナール 53 歳頃の作品。


ピエール・ボナール
ピエール・ボナール

芸術家 ピエール・ボナール (1906 年頃、39歳の 「ル・グラン=ランスの庭」 での写真。)

「ピエール・ボナール年譜」 ―「ピエール・ボナール展」 図録の抜粋 ―

1867 | 0 歳 パリ郊外のフォントネ=オ=ローズに(父)陸軍省の事務長ウジェーヌ・ボナールと(母)アルザス地方出身のエリザベト・メルツドルフの次男として生まれる。 兄シャルル (1864-1941)、妹アンドレ (1872-1923)。
 ボナールは幼年期を主に生地フォントネ=オ=ローズとパリで過ごす。 夏の休暇には、ドーフィネ地方のル・グラン=ランスにあったボナール家の別荘 「ル・クロ(果樹園)」 に家族が集まった。

1885 | 18 歳 大学入学資格を取得し、父が望んだ法学部に入学する。 画家として生計を立てることをいったんは諦めるが、勉強の合間には絵を描いた。 この頃、国立装飾美術学校で短期間学ぶ。 87 | 20 歳 パリの画塾アカデミー・ジュリアンに通い始める。 ここでボナールは、ポール・セリュジエ(1864-1927)、ボール・ランソン(1861-1909)、アンリ=ガブリエル・イベルス(1867-1936)、モーリス・ドニ(1870-1943) らと会う。 88 | 21 歳 ブルターニュ半島の村ポン=タヴェンでゴーギャンの教えを受けたセリュジェが制作した作品 《タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川》 (オルセー美術館・パリ) の理念に感銘を受けたボナール、ドニ、ランソン、ヴィュイヤール、フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)は、セリュジエと共に 「ナビ派」 を結成する。

1891 | 24 歳 アンデパンダ展に初めて参加し、油彩画 5 点と装飾パネル 《庭の女性たち》(cat. 2) を出品する。 以後、ボナールは 1947 年まで同展への出品を続ける。 「フランス=シャンパーニュ」 のポスター (cat. 19) がパリの街中に貼り出される。 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック (1864-1901) は、そのポスターに興味を抱き、ボナールを介して刷り師と知り合う。 この出来事をきっかけに、ロートレックは、ポスターのデザインを手がけるようになる。 ゴーギャンはタヒチ行きの準備中も頻繁に若い画家ボナールらのアトリエを訪ね交友を深める。ナタンソン兄弟がパリ刊行の文芸雑誌 『ラ・ルヴュ・ブランシュ』 (ベルギーで 1889 年創刊) に、マルセル・プルースト (1871-1922) や ステファヌ・マラルメ (1842-98) が記事を寄稿し、ボナールやロートレックが広告を手がけた。 93 | 26 歳 生涯の伴侶となるマルト・ド・メリニ― (1866-1939) とパリの街角で出会う。

1900 | 33 歳 この頃、パリ郊外のモンヴァルに小さな家を借りる。 この家の庭で、マルトの写真が撮影された。 03 | 36 歳 ウィーンの第 16 回「分離派展」 に絵画を出品する。 「偉大な印象派の画家たち」 をテーマとした本展の最終章には、ボナールをはじめ、ゴッホ、ロートレック、ヴァイヤール、ルドンらの作品が展示された。 第 1 回サロン・ドートンヌが開催される。 本展は、ベルギーの建築家フランツ・ジュールダンを中心に、マティスやジョルジュ・ルオー(1871-1958)、ヴァイヤール、ボナールらによって創設された。 ここでボナールは、《ブルジョワ家庭の午後あるいは テラス一家》(cat. 18)を含む 4 点の絵画を出品し、以後 1930 年まで定期的に作品を発表した。

1912 | 45 歳 レジオン・ドヌール勲章の叙勲が決定されるが、ヴュイヤール、ルーセル、ヴァロットンと同じく受勲を拒否する。 14 | 47 歳 第一次世界大戦の開戦。 18 | 51 歳 フランスの青年画家連合が、ボナールとルノワールを名誉会長に選ぶ。 25 | 58 歳 マルトと正式に結婚する。 ルネ・モンシャティの自殺、この頃から、「浴槽の裸婦」 の連作が制作される。 32 | 65 歳 パリのブロン画廊にて、「ファン・ゴッホ、ゴーギャン、ロートレック、ボナールとその時代」展が開催され、ボナールは 6 点を出品する。

1939 | 72 歳 第二次世界大戦の開戦。 戦禍の迫るパリを離れてル・カネに隠棲、以後ボナールは、終戦まで一度もパリに戻らなかった。 ナチス・ドイツによるフランス占領が始まる。 生涯にわたり強い友情で結ばれた友人ヴュイヤールの死に心を痛めた。 42 | 75 歳 妻マルトの死。 46 | 79 歳 前年完成させた 《トルーヴィル、港の出口》 が、5 万フランで国家に買い上げられる。 80 歳の誕生日を祝して、翌年アメリカで大規模な回顧展を行うことが決まる (この展覧会は、1947 年 3 月から 48 年 9 月までクリーグランドとニューヨークで開催させることになる)。 47 | 80 歳 ボナール死去、南フランス、カンヌのリゾート海岸にある町ル・カネのノートル=ダム=デ=ザンジュ墓地にて、マルトの墓の隣に眠る。



お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会サイト:http://bonnard2018.exhn.jp
国立新美術館サイト:http://www.nact.jp
主催:国立新美術館、オルセー美術館、日本経済新聞社

後援:在日フランス大使館、アンスティチュ・フランセ日本
協賛:花王、損保ジャパン日本興亜、ダイキン工業、大日本印刷、BIGLOBE、ブシュロン ジャパン、三菱商事
協力:日本貨物航空、日本航空、BSテレビ東京

本展はパリのオルセー美術館の学術協力のもとに企画され、数多くの名画が特別に出品されます。

参考資料:オルセー美術館特別企画 「ピエール・ボナール展」図録、報道資料 、他。
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