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国立新美術館
国立新美術館 〒106-8558 東京都港区六本木 7-22-2


至上の印象派展 ビュールレ・コレクション
Bührle Collection
Impressionist Masterpieces from the E.G.Buehrle Collection, Zurich (Switzerland)
 ドイツに生まれ、スイスに移住したエミール=ゲオルク・ビュールレ (1890-1956) は、戦前から戦後にかけて実業家として富を築く一方、生涯を通じて美術品の収集に情熱を注ぎました。 ビュールレは 1937年にスイス国籍を得て、一家とともに移り住んだチューリヒの邸宅を飾るため、美術品の購入を始めます。 時にはレンブラントやファン・ゴッホの贋作を購入してしまうなどの失敗もありながら、信頼のおける画商たちとの出会いを経て、自身のコレクションを増やしていきました。 やがてビュールレ・コレクションは、フランスの印象派とポスト印象派を中心に、それらの作品への理解を深めるものとして 16世紀から 18世紀のオランダ派やヴェネツィア派の絵画やゴシック式彫刻などの古典作品から、ナビ派、フォーヴィスム、キュビスム、 1900年以降のフランス前衛絵画までを揃え、世界を代表するプライベート・コレクションの一つとなりました。

 名作揃いのビュールレ・コレクションですが、これまでヨーロッパ以外へ所蔵品がまとまって貸し出されたことはほとんどなく、日本で紹介されたのは、ビュールレ氏の生誕 100年を記念し、1990年から 1991年にワシントン、モントリオール、横浜、ロンドンで開催された世界巡回展の 1回限りでした。 これまでは、ビュールレが作品を保管していた邸宅の別棟を改装した美術館で、この優れたコレクションを鑑賞することができましたが、その美術館は 2015年に閉館され、今回 27年ぶりに日本でコレクション展が実現することになりました。 2020年にビュールレ・コレクションの所蔵品は一括して、チューリヒ美術館に管理が移ることが決まっており、今回の展覧会は日本でコレクションの全貌を見ることができる最後の貴重な機会となります。 印象派の作品を中心に約 60点の名作が揃った 「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」 をご堪能下さい。


会期: 2018 2/14 [水] 5/7 [月] 巡回展で開催。
休館日: 毎週火曜日(ただし 5月 1日(火)は除く )
開館時間: 午前 10時 ~ 午後 6時 (毎週金曜日、4月 28日(土)~ 5月 6日(日)は午後 8時まで)
※入場は閉館の30分前まで

会場・東京展:
国立新美術館企画展示室1E (東京・六本木)
主催:国立新美術館、東京新聞、NHK、NHKプロモーション


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・巡回展(福岡、名古屋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会期・会場・福岡展: 2018 5/19 (土) - 7/16 (月・祝) 九州国立博物館(福岡・太宰府) 福岡展で開催中。
主催・九州国立博物館、西日本新聞社、NHK福岡放送局、NHKプラネット九州
会期・会場・名古屋展: 2018 7/28 (土) - 9/24 (月・祝) 名古屋市美術館(名古屋・白川公園内)
主催・名古屋市美術館、中日新聞社、NHK名古屋放送局、NHKプラネット中部

'2018 2_13 「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション展」国立新美術館での開会式 & プレス内覧会のご紹介です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」開会式
「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」 開会式 '2018 2_13
国立新美術館


モネ亡き後のジヴェルニーのアトリエに残された まだ見ぬ 「睡蓮」 がありました。!

至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」 展覧会の見どころ、概要
― 「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」のPress Release、プレス説明会、他よりの抜粋文章です ―
【見どころ 1】 「至上の印象派コレクション」
 今回の展覧会には、作品も作家名も、どこかで見たことのある、聞いたことのある作品ばかりが揃います。 きっと 「この絵はビュールレが持っていたのか!」 と驚く作品が数多く登場することでしょう。 ドラクロワ(1798-1863)、ドガ(1834-1917)、マネ(1832-1883)、ルノワール(1841-1919)、ファン・ゴッホ(1853-1890)、ゴーギャン(1848-1903)、モネ(1840-1926)、セザンヌ(1839-1906)、マティス(1869-1954)、ピカソ(1881-1973)…あまりにも豪華すぎる作家たちがこの展覧会で競演します。 なかでも、傑作中の傑作が揃うビュールレ・コレクションの印象派・ポスト印象派の作品は、その質の高さゆえ世界中の美術ファンから注目されています。 絵画史上、最も有名な少女ともいわれるルノワールの 《イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢 (可愛いイレーヌ)》 とセザンヌの 《赤いチョッキの少年》 の 2点は両巨匠の 「最高傑作」 として知られ、この 2点だけでも十分に価値のあるコレクションといえます。

展示構成 (第1章、第3章、第4章、第5章、第6章、第8章の説明会と図録、Press Release等の抜粋文です。)
第1章:肖像画
第2章:ヨーロッパの都市
第3章:19世紀のフランス絵画
第4章:印象派の風景―マネ、モネ、ピサロ、シスレー
第5章:印象派の人物―ドガとルノワール
第6章:ポール・セザンヌ
第7章:フィンセント・ファン・ゴッホ
第8章:20世紀初頭のフランス絵画
第9章:モダン・アート
特別出品:クロード・モネ 《睡蓮の池、緑の反映》

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'2018 2_13 「国立新美術館」 でのプレス内覧会の会場内の撮影画像です。 説明は「解説」「図録」「PRESS RELEASE」などの抜粋文章です。
ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル《アングル夫人の肖像》
・3
第1章:肖像画
 この肖像画の章は、ヨーロッパの視覚芸術においては人間の姿を写し取ることが、何世紀にもわたって最も重要なテーマであったことを思い起こさせる。 この章のほとんどの作品は 19 世紀のフランスで描かれた。しかし、一人の名もなき若者の肖像画は、オランダの画家フランス・ハルスによるもので 1660 年から 66 年の間に描かれている。 過去の巨匠たちに常に忠実であり続けた画家、それがジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルであった。 1811 年に描かれた、フランス人官吏、の肖像画は極めて精密にあらゆる細部を正確に記録している。 そういった細部の表現はアングル自身の夫人を描いたものとはずいぶん違っている。 この肖像画は公開を目的としたものではなく、私的な記録として描かれたものであった。 アングルは、妻の頭部だけを仕上げて、衣服は簡単にスケッチしたままにしている。
フランス・ハルス《男の肖像》/ピエール=オーギュスト・ルノワール《アルフレッド・シスレーの肖像》
・1/・6
【日本初公開】・3 ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングル(1780-1867) 《アングル夫人の肖像》 1814 年頃 油彩、カンヴァス 70 x 57 cm
左・1 フランス・ハルス(1580/85-1666)《男の肖像》1660-66 年 油彩、カンヴァス 70 x 58.5 cm
右・6 ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)《アルフレッド・シスレーの肖像》 1864 年 油彩、カンヴァス 81 x 65 cm
©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)
・3 《アングル夫人の肖像》 1814 年のナポレオンの失脚は、ローマにいたフランス人を取り巻く環境を激変させ、多くの高級官吏が同地を離れることを余儀なくされた。 1806 年からローマで活動を続けていたアングルも例外ではなくその余波を受け、同地で得た多くの顧客を失うこととなった。 1814 年以前のローマにおいて、アングルはアデル・メゾニー・ド・ロレアルというフランス人女性に恋をする。 既婚者であった彼女は夫とともに芸術の関心が高くアングルと親交を深めていた。 そのような中で、アングルの想いを知ったアデルは、従姉妹で独身であったマドレーヌ・シャペルをアングルに紹介した。 そして 1813 年 12 月 4 日、アングルとマドレーヌはローマのサンティ・シルヴェストロ・エ・マルティーノ・アイ・モンティ聖堂にて結婚した。 二人はお互いに強い絆で結ばれ、幸せな結婚生活を送ったことで知られている。


カミーユ・ピサロ《会話、ルーヴシエンヌ》
・23
第4章:印象派の風景―マネ、モネ、ピサロ、シスレー
 美術アカデミーの体制において最も重要だったのは、宗教的あるいは歴史的な内容の絵画であった。 その後に肖像画、風俗画、風景画、そして静物画と続く、新しい表現形式を追い求める画家たちは、自由な表現が可能な風景を好んでその実験材料とした。 風景画家たち、とりわけクロード・モネとカミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレーは、「印象派」 の画家たちの中でも、1874 年に初めて彼らがともに展示した時には指導的な役割を果たした。 カミーユ・ピサロの 《会話、ルーヴィシエンヌ》 はその印象派の展覧会の 4 年前に、公的なサロンに出品するために描かれた作品である。
 印象派の画家たちは、フランス語では 「en plein air (オン・プレネール [野外で] )」 と表現される、野外で描くことに目を向けていた。

クロード・モネ《ジヴェルニーのモネの庭》/《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》
・29/・28

・23 カミーユ・ピサロ(1830-1903) 《会話、ルーヴシエンヌ》 1870 年 油彩、カンヴァス 100 x 81 cm
左・29 クロード・モネ(1840-1926)《ジヴェルニーのモネの庭》 1895 年 油彩、カンヴァス 81.5 x 92 cm
右・28 クロード・モネ(1840-1926)《ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑》 1879 年頃 油彩、カンヴァス 73 x 92 cm
©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)

・23 《会話、ルーヴシエンヌ》 1863 年、実家のピサロ家の使用人として仕えていたジュリー・ヴァレイとの間に、息子リュシアンが誕生し、その 2 年後に娘ジャンヌ=ラシェルが生まれた。 ピサロ、ジュリーは二人の子どもを連れて 1869 年春にパリ郊外のルーヴシエンヌに移り住む。 一家は 1870 年 9 月に普仏戦争の戦禍を逃れるために一時的にロンドンで生活するが、1871 年 6 月にはルーヴシエンヌに戻り、1872 年までこの地に留まった。 本作品では、一家が生活していたヴェルサイユ街道 22 番地の家の庭の棚越しに隣人と話をするジュリーとそのかたわらに立ち、正面にまなざしを向けるジャンヌ=ラシェルが描かれ、普仏戦争前の穏やかな日常の光景が留められている。


・46
第7章:フィンセント・ファン・ゴッホ
  セザンヌと並ぶポスト印象派の代表画家ファン・ゴッホのコレクションも大変充実しています。 6 点の出品作はこの画家の様式の変遷をたどるにのに十分な多様性を見せていますが、それが僅か 6 年の間に描かれたものと知るとき、驚きと戸惑いが私たちを襲います。 炎の人と呼ばれるこの画家が、いかにその短い生涯を燃やし尽くして作品を生み出したのか、6 点の作品が雄弁に物語ります。 そして、作者と作品とが分かちがたく溶け合い見るものに迫る、という体験もこのファン・ゴッホから始まります。
ポール・セザンヌ《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》/《赤いチョッキの少年》
・39/・40

・46 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-90) 《日没を背に種をまく人》 1888 年 油彩、カンヴァス 73 x 92 cm
左・39 ポール・セザンヌ(1839-1906)《扇子を持つセザンヌ夫人の肖像》 1878-88 年 油彩、カンヴァス 92 x 73 cm
右・40 ポール・セザンヌ(1839-1906)《赤いチョッキの少年》 1888-90 年 油彩、カンヴァス 79.5 x 64 cm
©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)

・46 《日没を背に種をまく人》 1888 年 2 月 19 日、ファン・ゴッホはパリを離れ、南仏のアルルに向かった。 1889 年 5 月 8 日にサン=レミの療養院に入院するまでの1 年 3 か月の間に約 200 点もの作品を制作しており、このアルル滞在期はファン・ゴッホの創作活動の中でもとりわけ実り多き時代として知られている。 1888 年 11 月 21 日に弟テオに宛てた手紙の中で 「太陽のような、巨大なレモン色の円盤がある。 黄みどりの空にはピンク色の雲がある。 地面は菫色だ。 種まく人と木はプルシアン・ブルーで、大きさは 30 号だ。」 と画家が記した作品こそが、ミレーの 「種まく人」 に想を得て制作された本作品である。


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ビュールレ・コレクション財団の美術館
ビュールレ・コレクション財団の美術館
ビュールレ・コレクション財団の美術館、チューリヒ (展覧会プレゼンテーション映写画像より抜粋)
©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)
「ヨーロッパ美術史のコレクター、エミール・ビュールレ」  ―図録、PRESS RELEASEより抜粋文章―

 エミール=ゲオルク・ビュールレ (1890-1956) のコレクションの強みは、ヨーロッパ美術史において、とりわけフランス印象派とポスト印象派にコレクションの範囲を限定し、その中心的な画家のいわゆる 「傑作」 と表現される抜きんでた作品とともに、それらの作家の個々の展開を追うことを可能にする小品があることである。 それによってビュールレ・コレクションは、それが形成された時代を典型的に表すコレクションとなった。
 1951 年、彼はパリのチュイルリー公園にあるオランジュリー美術館のために作られたシリーズの中から、2 点の作品を手に入れたことで、モネの大きな睡蓮を所有する世界で 2 番目のコレクターとなった。 ビュールレは、これらオランジュリー美術館の展示に使われず画家のアトリエに残されれていた作品を、購入する 2 年前にバーゼルのクンストハレで見ていたが、その時初めての公開だった。 彼は画家の息子ミシェル・モネをジヴェルニーに訪れ、合計 12 メートルに及ぶ 2 点の壁画をチューリヒ美術館のために手に入れた。 その翌年に彼はチューリヒのモネの展覧会で 3 点目の壁画を購入し、それは 1960 年に彼の家族によって創設された財団の所有となった。
 その後、20 世紀に最後に購入可能なものとして残っていた 2 枚組のクロード・モネの睡蓮が福武總一郎の手に渡り、直島の地中海美術館の中核をなしている。
 また、クロード・モネは 1924 年に 2 メートル高の最終的な睡蓮の作品のうち 1 点を、モネの存命中にそれを求めた唯一のコレクターであった松方幸次郎に売却したのだが、この作品はフランスに残され、第二次世界大戦の混乱の中、おそらく失われてしまったのである。

クリスチャン・ビュールレ&ルーカス・グルーア
・左 クリスチャン・ビュールレ (E.G. ビュールレ・コレクション財団 理事長/エミール・ゲオルク・ビュールレの孫)
・右 ルーカス・グルーア (E.G. ビュールレ・コレクション財団 館長)

・64 クロード・モネ(1840-1926) 《睡蓮の池、緑の反映》 1920-26 年 油彩、カンヴァス 200 x 425 cm
©Foundation E.G. Bührle Collection, Zurich (Switzerland)

 1883 年にモネは、パリからセーヌ川を 80 キロほど下がったところにあるジヴェルニーに、広大な敷地と屋敷を借りて移り住む。 1890 年にこれを購入して本格的に造園を始めたモネは、1893 年、小川が流れる隣の敷地を買い足した。 そして、川の水を引いて造った池に睡蓮を浮かべ、日本風の太鼓橋やしだれ柳などの植栽を調えたのである。 これは、屋敷に接した 「花の庭」 に対して 「水の庭」 と呼ばれ、ここを舞台にモネは、実に 200 点以上もの睡蓮の池を描いたのである。
 当初モネは、睡蓮の池とともに太鼓橋や植物を描き込んだが、すでに 1897 年頃には、水面に視点を接近させた一連の作品を仕上げていた。 この時期にモネが、睡蓮の絵による室内装飾を構想していたという証言もあり、水面に集中して描く着想もこれに関係していた可能性がある。 いずれにしろ、1900 年代に入りモネは、その時々の光や大気の効果を敏感に反映する水面の効果にますます関心を深めていく。 そして、1909 年にデュラン=リュエル画廊で 〈睡蓮〉 の連作 48 点を発表した頃には、本作品 《睡蓮の池、緑の反映》 のような装飾画を明確に意識していたようだ。 その後、妻アリスと長男ジャンの死や、白内障による視力悪化からしばらく制作は滞るが、1914 年、地下室に放置されていた睡蓮の絵を見つけたモネは、親友の政治家、ジョルジュ・クレマンソーの励ましもあり、再び装飾画への情熱を取り戻した。 翌 1915 年には、睡蓮の大装飾画のためのアトリエも建てて制作に没頭、1920 年には国家への作品の寄贈もほぼ決まったが、最晩年には体力の低下により制作ははかどらず、最終的にはオランジュリー美術館に渾身の 22 点が収められたのは、モネ没後の 1927 年のことだった。
 モネ亡き後のジヴェルニーのアトリエには、寄贈されなかった同サイズの装飾画が残されていた。 エミール・ビュールレは、1951 年にこのアトリエを訪れ、そのうちの 2 点、《睡蓮の池、アイリス》 (1914-22) と 《睡蓮の池、夕暮れ》 (1916-22) を購入した。 これらは、その後すぐにチューリヒ美術館に寄贈された。 本展覧会に出品される 《睡蓮の池、緑の反映》 は、ビュールレが 1952 年に新たに購入した作品である。


お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル)
展覧会サイト:http://www.buehrle2018.jp/
国立新美術館サイト:http://www.nact.jp
主催:国立新美術館、東京新聞、NHK、NHKプロモーション

後援:外務省、スイス大使館
協賛:Julius Bär ジュリアス・ベア・グループ、損保ジャパン日本興亜
協力:スイス政府観光局、スイス インターナショナル エアラインズ、日本貨物航空

参考資料:「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」PRESS RELEASE & 報道資料 、他。
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