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「アイ・エイ・アイ」:IAI

サントリー美術館
サントリー美術館
東京都港区赤坂9-7-4 :六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階
「東京ミッドタウン」 21世紀の日本を代表する街、世界に類を見ない独創的な街が誕生しました。

 

河鍋暁斎 その手に描けぬものなし

激動の時代を生きた画鬼

Kawanabe Kyosai:Nothing Escaped His Brush

 河鍋暁斎(1831~89) は天保 2 年(1831)、下総国古河(現・茨城県古河市) に生まれました。 数え 2 歳のときに家族とともに江戸に出て、7 歳で浮世絵師・歌川国芳のもとで絵を学び始めます。 その後、駿河台狩野派の前村洞和(?~1841) や、洞和の師・狩野洞白陳信(?~1851) に入門し、独立後は 「狂斎」 と号し、戯画などで人気を博しました。 そして、明治 3 年(1870) 40 歳のとき、書画会で描いた作品が貴顕を嘲弄したなどとして投獄され、以後、号を 「暁斎」 と改めました。

 この筆禍事件や明治政府を茶化したような風刺画によって、暁斎は 「反骨の人」 というイメージで語られるようになります。 もちろん、38 歳で明治維新を迎えた暁斎が、当時の江戸っ子たちと同様、新しい政府や急速な近代化に対して複雑な思いを抱いていたことは想像に難くありません。 しかし、これらの行動の根底にあったのは政府に対する強い反発ではなく、あくまでも、慣れ親しんだ江戸文化への思慕であったと考えられます。
 江戸幕府の終焉とともに狩野派は衰退していきますが、暁斎は生涯、狩野派絵師としての自負を持ち続けました。 暁斎の高い絵画技術と画題に対する深い理解は、日々の修練と古画の学習を画業の基礎とした狩野派の精神に支えられたものでした。 たとえば、晩年に日課として制作していた観音図や、先人たちの作品を丹念に写した縮図などからは、作品と真摯に向かい合った暁斎の姿がうかがえます。

 本展では、「狩野派絵師」 としての活動と 「古画学習」 を大きな軸としながら、幕末・明治の動乱期に独自の道を切り開いた暁斎の足跡を展望します。


会期: 2019 2/6 [水]~ 3/31 [日]
※作品保護のため、会期中展示替えを行います。
休館日:毎週火曜日(但し 3/26 は 18 時まで開館)
開館時間:10時~18時 (金・土 および 3/20 [水] は 20 時まで開館)
   ※いずれも入館は閉館30分前まで ※shop x cafe は会期中無休

会場:サントリー美術館 六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階



'2019 2_5 「 河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」 展のプレス内覧会の会場内風景です。
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「扇の国、日本―せんすがいいね―」サントリー美術館

河鍋暁斎 その手に描けぬものなし」 展
プレス内覧会 & プレス説明会 サントリー美術館 '2019 2_5


画鬼、暁斎 何でも描ける絵師 の真骨頂!

本展覧会 「 河鍋暁斎 その手に描けぬものなし 」 図録、プレスリリース、「News Release No. sma 0038」、Newsletter vo.275 プレス説明会より参考に、抜粋文を掲載しています。
「展示構成」―第 1 章~第 7 章まで全 7 章の構成―

展覧会の見どころ】 ―池田芙美 (サントリー美術館 主任学芸員)、プレス説明会の抜粋―
 今回の展覧会では、暁斎の狩野派としての姿、狩野派絵師の姿というものと古画の学習をいかに修得し制作に生かしていたかの 二点に焦点を当てています。 暁斎は、あまりにも何でも描けるという、才能を持っていたが故に天才画家というイメージが拡散されている。 勿論、狩野派の師からも 「画鬼」 と言われ、可愛がられていた。 幼い頃より才能があった。 今回初出品のおびただしい数の古画の写しが残されていて、これらは彼が如何に古い作品を勉強、探究し、その中で多様な画題が生まれたかが分かります。…暁斎は、近代を代表する画家として語られることがあるが、江戸から地続きまで明治という時代を生きた人と感じられ、日本の中世、或は中国の絵画を確りと勉強し、狩野派の中でそういったものを身に付けてゆき、自分の作品に消化していったかを、ぜひ見ていただけたらと思っています。 本年は、暁斎没後 130 周年にあたります。 この機会に新たな暁斎を見いだしていただければと思います。…

展示構成
第1章 暁斎、ここにあり!
第2章 狩野派絵師として
第3章 古画に学ぶ
第4章 戯れを描く、戯れに描く
第5章 聖俗/美醜の境界線
第6章 珠玉の名品
第7章 暁斎をめぐるネットワーク


'2019 21_5 プレス内覧会の作品展示風景です。 「 河鍋暁斎 その手に描けぬものなし 」図録、NEWS RELEASE No..sma0038、Newsletter vo.275 などからの抜粋文章を掲載しています。
画像をクリックすると大きな画像で次の章をご覧いただけます。
第2章 狩野派絵師として

  暁斎は 10 歳のとき、駿河台狩野派の前村洞和に入門します。 洞和は暁斎を 「画鬼」 と呼び、その才能を愛しました。 しかし翌年、洞和が病気になると、暁斎は洞和の師である駿河台狩野派七代目当主・洞白陳信のもとに移り、狩野派絵師としての基礎を身に付けていきます。 早くから頭角を現した暁斎は、嘉永 2 年(1849)、「洞郁陳之」 の号を拝領し、19 歳という異例の早さで修業を終えました。 さらに明治 17 年(1884) には、駿河台狩野家九代目当主・洞春の臨終に際して 「画技遵守」 を依頼され、宗家・中橋狩野派の永悳立信(1814~91) に再入門するなど、狩野派との関係は晩年まで続きました。 暁斎は様々な画風の作品を遺していますが、その制作の根底には、狩野派絵師として身に付けた力強い筆線と、安定した構図を生み出す確かな構成力がありました。
 本章では狩野派門下時代の作品や、狩野派的な筆法・画題の作品を中心に、狩野派絵師としての暁斎の姿を見ていきます。

cat.16《豊干禅師と寒山拾得図》、cat.21《能・狂言面之地取画図》

右・cat. 16 《豊干禅師と寒山拾得図》 河鍋暁斎 紙本墨画淡彩 一 幅 東京国立博物館/ 左・cat. 21 《能・狂言面之地取画図巻》 河鍋暁斎 紙本墨画淡彩 一 巻 嘉永 6~明治 18 年(1853~85) 河鍋暁斎記念美術館

 ・cat. 16 《豊干禅師と寒山拾得図》 中国唐代の禅僧・豊干禅師と寒山拾得を力強い筆線で描く。 拾得は呵々と笑いながら岩で墨を磨り、その墨を用いて寒山が今まさに岩壁へ揮毫せんとしている。 ・cat. 21 《能・狂言面之地取画図巻》 暁斎は、狩野派修業時代から能狂言を習っていた。 絵師として独立した後も大蔵流狂言を習って免許をいただき、素人ながら舞台に立ち狂言を演じただけでなく、その経験を活かし、数多くの能狂言を几帳面に描き、それらをまとめたのが本画巻で、それは能狂言の研究にとっても貴重な資料であるという。


第4章 戯れを描く、戯れに描く

  浮世の戯れを描いた遊宴図や、世の中を逆手にとった風刺画は人々を夢中にさせ、暁斎の戯画は熱烈な支持者を獲得していきます。 ときには風刺を意図していない描写にまで深読みがされることもあり、「戯画の暁斎」 というイメージがいかに浸透していたかが分かります。 また、酒席などで筆を執った 「席画」 もまた、暁斎にとっては 「戯れ」 の絵であったのではないでしょうか。
 これらの戯画作品については、これまで、最初の師である歌川国芳との関連で語られてきました。 しかし近年、狩野探幽周辺で複数の戯画が制作されていた実態が明らかになりつつあります。 暁斎はこのような探幽の戯画を所持していたことが知られており、暁斎の戯画制作にも大きな影響を与えたと考えられます。
 本章では、狩野派の戯画作品とともに、今日でも根強い人気を誇る暁斎の戯画や席画をご覧いただきます。

cat.66《鷹に追われる風神図》、cat.68《吉原遊宴図》

右・cat. 66 《鷹に追われる風神図》 河鍋暁斎 紙本墨画淡彩 一 幅 明治 19 年(1886) イスラエル・ゴールドマン・コレクション(ジョサイア・コンドル旧蔵)/ 左・cat. 68 《吉原遊宴図》 河鍋暁斎 絹本著色 一 幅 明治 12~22 年(1879~89) 河鍋暁斎記念美術館

 ・cat. 66 《鷹に追われる風神図》 鷹に追われ、必死の形相で逃げる風神、鋭い視線で獲物を狙う鷹と、慌てふためく風神の対比が実に滑稽で、風神に神としての威厳はもはや無い。 背後の瀧の水流が追跡のスピード感をより強調している。 (cat.116 ジョサイア・コンドル著 『 Paintings and Studies by Kawanabe Kyosai 』 でも取り上げられている) /・cat. 68 《吉原遊宴図》 満開の桜が見える吉原遊郭の二階座敷で賑やかに遊ぶ姿を描いている。


第6章 珠玉の名品

  暁斎の代表作というと、迫力ある大画面作品が印象的ですが、実は小画面にも魅力溢れる作品が多く見られます。 とくに、特定の注文主のために、手元で楽しむことを想定して制作された画帖には、各ページの細部にまで緻密な彩色がほどこされ、見飽きることがありません。 本章では、まるで宝石をのぞき込むような画帖の世界へご案内します。

cat.99《惺々暁斎団扇絵聚画帖-第九図 芙蓉に小禽図、第一図 白牡丹に唐子図》、cat.100《日本神話-島々の誕生》

・cat. 99 《惺々暁斎団扇絵聚画帖-第九図 芙蓉に小禽図、第一図 白牡丹に唐子図 河鍋暁斎 紙本著色 一 帖 個人蔵/ ・cat. 100 《日本神話-島々の誕生 河鍋暁斎 紙本著色 五 面 明治 11 年(1878) 山口静一氏

 ・cat. 99 《惺々暁斎団扇絵聚画帖》 団扇型の画面に花鳥、中国と日本の子どもたち、風景、風俗、弁天などを描き、一冊の画帖に貼り込んだ作品。 いずれの図も非常に状態が良く、団扇として使用した形跡がないことから、実際に使うためではなく、団扇絵づくしの連作として鑑賞する目的で作られたと推測される。 ・cat. 100 《日本神話》 記紀神話で語られる日本神話を鮮やかな色彩で描いたシリーズ。 「神々の形成」 は、島々をつくった伊邪那岐命と伊邪那美命が神々を誕生させてゆく場面。 描かれる二神は日輪を背負う天照大御神と月読命とされる。



お問合せTel:03-3479-8600
サントリー美術館公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
主催:
サントリー美術館、河鍋暁斎記念美術館、朝日新聞社
協賛:三井不動産、三井住友海上火災保険、サントリーホールディングス
協力:日本航空
   サントリーホールディングス株式会社は公益社団法人サントリー芸術財団のすべての活動を応援しています。

参考資料:「 河鍋暁斎 その手に描けぬものなし 」 図録、NEWS RELEASE No.sma 0038、Newsletter vo.275、プレス説明会、他
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